NPO法人 日本似顔絵アーティスト協会

Member Interview vol.10


Member Interview vol.10

『米盛亮さん』

(聞き手・Kage)

 

全国各地で活躍する、

日本似顔絵アーティスト協会の皆様の、

多種多様な考えや働き方をご紹介する、

Member Interview。

 

今回は、米盛亮さんにご登場頂きました。

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―米盛さん、はるばる参りました!今日はよろしくお願いします。

はい!よろしくお願いします!

 

―九州の似顔絵というと米盛さん!と思い出すくらい、九州では精力的にご活動をされています。ご出身はどちらなのですか?

宮崎です。生まれたのは高千穂町という所で、育ったのは宮崎市です。

 

―どんな少年時代でした?

僕の育った町はテレビのチャンネルが2つしかないんですよ。「一休さん」が何回も繰り返し流れたり、幼い自分にとっては退屈な時期でした。
なので、田舎の子供たちは、外で遊ぶことに尋常じゃないパワーがあります。虫を捕まえにいったら、ずっと虫を捕まえているような。僕にはそんなパワーはありませんでした。だからずっと絵を描いていました。小1で「キン肉マン」の悪魔超人が何も見ないで描けるようになりました。

 

―博多に出てきたのは高校を卒業してから?

そうです。デザイン系の専門学校で、コミックイラスト科に属していました。

 

―似顔絵を始めたきっかけは?

もともとマンガを描いていました。19歳の頃「フラッパー」で、20歳の頃「アフターヌーン」で、担当がついてマンガを描いていました。でも、、絵を描くのはすごく好きだったのですが、ネームがすごく苦手で他の人たちの速さを見て、これは同じ感覚では僕にはできないな、とわりと早い時期に気づきました。
専門学校を卒業する時にイベントがあって、ここで似顔絵を描くことになりました。これがもう楽しくて。楽しくて。
3月に卒業して、4月にはキャナルシティで研修を受けて、5月1日にはデビューをしていました。研修時は毎日8時間描いていました。

 

―さすが「ミスター・ストイック」、米盛さんらしいエピソードですね!米盛さんのあの独特な作風は、何の影響から生まれたのですか?

中学時代に好きになったのは、アンドリュー・ワイエス。寂しげな情景が好きで、その影響からか、今でも背景に何かを入れたりします。マンガ家の木城ゆきと先生の作品も、1Pまるごと模写するほど好きでした。「うしおととら」の藤田和日朗先生の作風にも、とても影響を受けました。藤田先生の画は不必要なほど悪意に満ちています。凄惨な殺害とか、すごい怖いどアップがあります。こういう場面をオブラートに包まず、ものすごいリアルに描写するところが、エンターテインメントの神髄というか、僕的にはすごい好きでした。

余談ですが同級生のS君(笑)。どれだけ気持ち悪い絵が描けるか、どれだけ笑える顔が描けるかという、セッションを毎日一生懸命やっていました。ここでたくさんのネタが生まれました。この経験は今のベースになっています。

 

―こうした影響や経験から、米盛さんの独特な世界観というか、グロテスクなのにリアルスティックな、あの表現が完成されたのですね。

お仕事は今、どのようにされていますか?

週に5日現場で描き、月に5~8回、イベントです。ウチは子供が7歳の男のコと5歳の女のコがいるので、週に一度は休むようにしています。自分が子供の頃、一般の家庭は普通なんでしょうけど、サラリーマンの父親も週に1度は、ほぼ1日家族と過ごしていた思い出があります。

独立当初はできなかったけど、今は僕も水曜だけ休みます。

 

―やっぱり土日は休めない?

運動会とかあれば、事前にスタッフに伝えて休みますが、基本的には土日は仕事です。今でも、土日に休むことには罪悪感を覚えます。

 

―私もよく仲間たちと話すのですが、私たちの仕事はサービス業ですので、皆が休む時にサービスを提供するのが本質だ、と。

わかります。僕が今考えていることはまず、今一緒に働いてくれているスタッフたちが絵で食えるようになってもらいたいんです。良い絵を毎日残せるようになってもらって、一般と同じ生活を似顔絵を描いてできるようになってもらいたいんです。

僕は似顔絵でそれはできると思っています。だからたくさん描けるチャンスのある土日は、一生懸命描いた方がいい(笑)

 

―米盛さんはご自身で店舗も持たれて、営業をされていますが、色々とご苦労も多いかと思います。

現在はイオンと新天町に2店舗営業しています。少ない元手で始められる、イオンから出店を始めたのですが、朝9時から夜9時までの営業で、売上が数千円の時などは、おかしくなりそうでした。また催事が続いた時などは、先立つものが必要な事がありました。その時は9時の営業を終えてから、 夜10~2時までCoCo壱番屋でアルバイトしました。カラダはボロボロでしたが、時給を頂きながら研修を受けられて、大企業すげー!と思いましたし、ものすごく学べました。人を使うってこういうことなのか、と。

 

 

―カッコいいですね。米盛さん、カッコいいですよ。
僕も高校出てアメリカにいって、絵描きとして6年やってきましたが、とうとう金がつきたことがありました。もはやこれまでか、と。家の隅々から車の中まで漁って、小銭を集めたら10ドル集まった。それでプラスチックのイスを3つ買って、公園で路上似顔絵をしました。

平日火曜日の2時から警察に追い返されるまでの2時間、噴水近くで子供たちを描いて、チップで60ドル稼げたんです。ドン底で1週間食えなかったから、もうね、その金持って「OUTBACK」行って、ステーキ食ってやりましたよ。一番高いやつ食ってやりました。その時、絶対この仕事で成功してやる!って強く思いました。こうした経験をして生き延びた絵描きは少々のことでは負けません。生命力が違います(笑)

 

 

―米盛さん、あの話を聞かないといけません。米盛さんといえばあの業界を震撼させた、伝説のキャラクター「しきっしー」について、聞かなくてはなりません(笑)!

しきっしーですか(笑)。いや、似顔絵のキャラってないよね、と思って何気なく色紙をキャラクターにして描いてみて、Facebookに上げたらすごいコメントが伸びました。おっ!皆好きなんじゃん!と思いました。そうしたら野中工房の野中さんが本格的に協力をして下さいまして、ならば僕も本気で応えなければ、という形で誕生しました。

 

 

しきっしー

※現在『ゆるキャラグランプリ2017』に出場中!

 

―僕はしきっしーは業界にとって、画期的な発明だったと思っています。似顔絵の可能性を広げたと思うし、似顔絵の新しい楽しみ方を、たくさんの方々に伝えたと思っています。

デビュー戦は企業のイベントでした。しきっしーにはすごい子供がきます!いきなり80人も描きまして、次の週には竜王賞に出場しました。ズルいやり方と自覚していたので、優勝かビリしかないと思って出場しましたが、4位という有難くも残念な成績でした(笑)。

 

―米盛さんはしきっしーを含めた、今の業界をどう思っているのでしょうか?

しきっしーは肩書でなく、しきっしーとしてイベントに呼ばれます。作家も、もっとブランド化させて、キャラクターを活かしてプロモーションすることで、よりタレント化ができるんじゃないかと思っています。絵描きは絵描きとして、もっとプロデュ―スできると思いました。

 

―良い絵を描くことと同じくらい、自分や自分の絵の伝え方は大事ですよね。米盛さんのお話しを伺っていて感じることは、誰にも負けない『似顔絵愛』ですよね。

米盛さんがこの仕事で一番やりがいを感じることってどんな時ですか?

僕の表現を気に入ってくれて、熊本から通ってくれているお客様がいます。もう46回も描かせて頂いています。他にも10回以上描かせてくれるお客様が何組もいます。この方たちには、どんな激しい絵も出せるんです。もう、お金要らないと思っちゃいます。

 

―協会インタビューを始めて10回目ですが、誰に聞いてもやりがいは同じなんです。自分が人生を懸けて、信じて、頑張ってきたものだからこそ、理解して頂いて喜んで頂けるって、格別に嬉しいですよね。

はい。だから現場は離れられないです。
一方、僕は事務仕事が地獄で(笑)。請求書を書いたりとか。

 

―分かる!僕も極端に苦手なので、そうした仕事を受け持ってくれる本社の皆を「さん」付けで呼んでいます(笑)

 

 

―米盛さん、将来の夢を教えて下さい。

シンプルに一生、似顔絵描きたいです。成功とかじゃないんです。すごく慎ましくて、、毎日進歩しつつ、仲間を幸せにしつつ、家族を幸せにしつつ、それを限界まで長く続けたいです。それにつきます。その為にも頑張らなきゃと思います。

 

―涙が出ますね。。米盛さん、最高です!
最後に協会に期待することがあれば、是非、お願いします。

昨年、九州の勉強会を主催させて頂きました。やりたい人は意外と多いと思います。やりたい人はどんどんやったらいいと思います。それが地域の活性化にも繋がるし、似顔絵作家の底上げにもなります。
僕個人的には、業界の為になるのであれば、協会のイベントにしきっしーも参戦させます。何でもやりますよ。

 

―米盛さん、今日は本当にありがとうございました。
とても熱いお話しの数々、心から胸を打たれました。今後ともよろしくお願いします。

Kageさん、こちらこそ遠くまでありがとうございました。

 

【プロフィール】
米盛亮

1982年1月生まれ 宮崎県出身
福岡市内のデザイン専門学校を卒業後、キャナルシティ博多の似顔絵師として12年勤務
2014年 似顔絵スタジオフェイスロックを起業

受賞歴
2010年韓国ミニコンスピードコンペティション2位
2011年大阪ミニコン総合9位 など

定期的に博多で似顔絵の勉強会を行うなどして、九州の似顔絵作家の底上げを図っている。プロ作家でないとできない仕事を多種多様に作って共有することが、ここ最近の目標です。

 

【プロフィール】
しきっしー

2016年3月 埼玉生まれ
4月デビュー後、似顔絵竜王賞で総合4位 パフォーマンス部門1位
サマーソニックなどのイベント参加の後各種メディアに取り上げられ、フェイスロックで一番テレビに出る人になる。

ツイッターアカウントは「しきっしー
ゆるキャラグランプリ2017に出場中
しきっしーのこともみなさんよろしくお願いします笑