Member Interview vol.14【特別編】
『村岡ケンイチさん』
(聞き手・Kage)
全国各地で活躍する、
日本似顔絵アーティスト協会の皆様の、
多種多様な考えや働き方をご紹介する、
Member Interview。
第14回も【特別編】として、
村岡ケンイチさんにご登場頂きました。
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―(Kage)酷暑の日々が続いております。
お忙しい中、お時間を頂きまして、ありがとうございます!本日はよろしくお願い致します。
(村岡さん):
こちらこそ、よろしくお願いします。
― 村岡さんには色々と聞きたいことがあるのですが、まずは似顔絵を始めたきっかけを教えて下さい。
僕は名古屋芸大のイラストコース出身なのですが、2年生の時にオープンキャンパスで初めて仲間たちと似顔絵をやりました。こんなに人を笑わせる芸術分野はない、とその時気づいたんです。
普段は広告のイラスト作りとか、課題に追われていたのですが、人に喜んでもらって何かを得るって、素晴らしい仕事だと思いました。
これまでのアルバイトのツテをたどりながら似顔絵が出来ないかなと思って、あるイベント会社を見つけました。以降、週末はパチンコ屋で似顔絵を描いていました。
そんな時、ある人から小河原智子さんの存在を教えて頂きました。ポジショニングの本を読んで、業界のパイオニアに会って、話をしてみたいと思い、皆が就職活動をする中、僕は「星の子プロダクション」に連絡をしました。
―その時点で就職は考えていたのですか?
自分の中ではもう「似顔絵だな」とひらめいていました。
似顔絵を追及していけば、後にイラストレーターになった時も、大きな強みが一つ持てると思いました。というか、絶対に活かせる、という自信がありました。
そういう意味では、入る気満々だったと思います。
―「星の子プロダクション」はいかがでしたか?
色んな作家さんがいて、とても刺激的な3年間でした。
正直に言うと、あまり長い間いる考えはなかったので、その分、在籍中は実績で貢献しようと一生懸命頑張りました。辞めた後は、新しい表現を求めてデザインフェスタなどで大きな紙に似顔絵を描いて発表したり、色々と模索しました。
―事業オーナーとして質問なのですが、
その新しい表現は独立しないとできなかったのですか?
表現が理由というより、自分を知れば知るほど、自分に向いた働き方があると分かってきました。フリーの方が自分に向いていると思ったんです。
おそらく社長もそれを分かっていて。それでも、そんな僕を入れてくれた恩義をとても感じています。
―村岡さんといえば、「似顔絵セラピー」の提唱者で、多くのメディアにも出演されていますが、これはどういった経緯で開発されたのでしょうか。
2016年10月に、地元の広島で「ホスピタルアート」に出会いました。
院内の無機質な壁に直接描いたり、オブジェを飾ることで、過ごしやすい、安らぎの空間を作るというものです。
これに17年前から取り組んでいる、稲田恵子さんという方と出会いました。この方に聞かれたのです。
「あなたの似顔絵で病で様々な苦しみを持っている人たちを救ってあげることは出来ないか」と。僕はしばらく考えた後、まずはボランティアで1年くらいやってみたいと伝えました。
そうして僕は広島県立病院にある、緩和ケアという、究極の世界で似顔絵を描き始めたのです。
―実はつい先日、身内を亡くしました。長期間に渡る、闘病生活だったのですが、亡くなる少し前に初めて「緩和ケア」という言葉を学びました。あの環境で病床に伏せている人をライブで描く、というのは、ちょっと想像を絶する世界ですね…。
本当に大変です。極度の緊張感のある世界です。
でも、似顔絵で治療という新たな試みがうまくいって、全国の絵描きがこれをやったら、似顔絵の新しい価値を作っていけるのではないかと、僕は考えたんです。
―最初に似顔絵セラピーをやったのはいくつの時ですか?
24歳の時です。
―初めて患者さんを描いた時はどうでしたか?
初めての似顔絵セラピーは、60代の男性でした。
移動型ベッドで寝た状態のまま、ロビーに奥様と来られました。
僕は健康です。僕の両親も健康です。
癒せる、とか言いながら病院にきたんですけども、僕の想像とは全然違って、何をしゃべっていいのかもわからなくて。極度の緊張状態で震えて描けませんでした。
奥様の優しいご対応もあって、何とか描けましが、今思えば出来上がった作品は輪郭線もキツイし、自分の精神状態がそのまま出てしまっていたように思います。
―作風もすごく独特ですよね。
そうなんです。あの作風には僕なりの考えがあるんです。
患者さんが辛い状況にある時に、それをリアルに描いても、意味がありません。僕は似顔絵に想像を入れるんです。
最初は、患者様に負担のないように15分で描くようにしました。
でも実際にやってみたら、それは相当大変でした。
病院の中の、ましてこの場所に流れる時間の速さは、通常とは違います。そこは真剣に時間を生きている空間です。こちらがうわついた気持ちでもあれば、すべて見抜かれる空間なんです。
―描いている時間の会話も、通常の店舗でお客様とする会話とは違うので、
言葉の選択や内容にも十分注意が必要ですね。
その通りなんです。
緩和ケアを広めた権威の、ある先生が話していました。
「看護師はみんな笑顔で働いているけど、ナースステーションでテレビの話をして、はしゃいだりはしません」って。
でも、「あなたの絵でみんなが、自然な形で温かな笑いに包まれていたよ」と褒めて頂きました。「これは似顔絵の魅力だと思うな。きっとファンは増えると思うよ。応援するよ」って。
あの言葉のお陰で、僕はこれは続けられるな!
やってもいいことなんだな!って、思いました。
この言葉のお陰で、僕はスタートができたんです。
―失礼なことを伺うかもしれません。
村岡さんの「似顔絵セラピー」はボランティアですか?仕事ですか?
完全な仕事です。
全部ボランティアでは続きません。
稲田先生にも言われました。ボランティアでやって、5,6年でやめる人たちを何人も見てきました。ちゃんと対価を頂いて続けるべきだ、と。
―その言葉の意味が、僕には痛い程分かります。
東日本大震災の後、ボランティアで東北の沿岸部各地を回っていました。ところが仰る通り、金銭的にも精神的にも、限界を感じてしまいました。僕の場合はどうしたかというと、東北楽天ゴールデンイーグルスにご協力をお願いして、「がんばろう東北」のイベントの一貫に僕たちの似顔絵を組み込んで頂いたんです。
具体的には、土曜日に球場でチャリティ似顔絵をやらせて頂いて、その資金で、日曜日にレンタカーを借りて被災地を回りました。
これで新幹線代と宿泊費とレンタカー代を賄いました。
実は一度、NHKのドキュメンタリー番組で取り上げて頂いた時、とても印象的な出来事がありました。
その時のアナウンサーが、僕に事前打ち合わせ一切なしで、対談を求めてきたのです。その目つきは明らかに怒っていました。
聞けば、ちょうどお母様を緩和ケアを経て亡くされたばかりで、
僕の「仕事」に違和感を持っているようでした。
「仕事でやっているのですか?」
「患者さんからお金を取ることをどう思いますか?」と、
いきなり聞かれました。
まさに偽善の、疑いの目でした。
彼の質問に対する僕の反応を見ていたのだと思います。
「ボランティアでは続きません」と僕は答えました。
彼に悪気がないことは分かっていました。
とても熱心な方だったので。でも、こう見られているんだな、ということはよく分かりました。だからこそ僕はこの絵の価値を、絶対に証明するんだ!とこの時思いました。
患者さんが泣いて喜んでくれたら、正解です。
この頃から、作画時間も15分から40分に変えて、患者様の心に寄り添い、過去、現在、未来の話をゆっくりお聞きして、その方が主役で光っているところを想像して描かせていただくようにしています。
―印象的だった患者様のエピソードがあれば、教えて頂けますか?
はい。
その方はガンを患っていらっしゃいました。色々な病院を回ってきたそうです。
その方は私に聞いてきました。「これから私はガンと戦わなければいけないんです。
私を元気にしてくれるんですよね?」って。僕は色々聞きました。
「一度でいいからオーロラを見たい」
「私も絵が好きだったのよ」
「あと鳥も大好き」
似顔絵はこれらをまとめることができます。
フィンランドで、オーロラを見ながら、絵を持って、自分も鳥のように空を飛んでしまう。
患者がもっとも欲しいものは、自分が肯定的に主役になれる似顔絵なんです。
―それは喜ばれたことでしょうね。
現実的な過去を映し出すには写真が一番ですが、似顔絵の素晴らしいところは理想を現実に変えられるところですよね。
はい。その通りです。
あとは医療関係者も疲れているんですよ。
ケアする看護師さんにとっては、患者様の笑顔が一番の癒しになるんです。緩和ケアの離職率は、とても高いとも聞いています。精神的に保てなくなってしまう人もいるそうです。そのケアにまで繋がるのが、似顔絵セラピーなのです。
―怒られてしまったこととかあるんですか?
あります。入っただけで「帰れ!」と怒鳴られたこともあります。
精神科へ行くと、お医者さんが患者さんに殴られる世界ですから。
―そういう時の対処法ってあるんですか?
怒られた時は沈黙です。話せば話すほど悪循環です。
とにかく落ち着くことです。話したくないという人でも、やっぱり自分の話はしたいものなのです。
でも、好きな音楽を聴くと気分が変わるように、絵を見た瞬間に気持ちが変わる場面を何度も見てきました。似顔絵は絶対にケアになるんです。あっ、でも今までで一番恐ろしい体験があります。
―恐ろしい体験?
聞いてみたいような、怖いようなフリですね。。
似顔絵セラピーを始めて、1、2年経った時です。
その頃、似顔絵の大会に参加しまして、いろんな作家さんの絵に刺激を受けておりました。スゴイなと思った作家さんのマネをしてみたくなっていました。
ある老人ホームを訪れた時、多くの方々が期待して僕を待っていてくれま
した。
あるおばあちゃんの顔が、ちょっとカエルに似ていたんです。面白いものを期待されている雰囲気も感じていたので、おもいきって、カエルのイメージで描いたのです。
皆が笑ってくれました。僕も良く描けたと思いました。ところが本人だけがすごく嫌な顔をされたのです。一瞬で僕の血の気は引きました。
おばあちゃんからしたら、セラピーと言われて癒されると
思っていたのに、私をコケにした、と。
僕は「やってしまった…」と思いました。本来の目的を忘れて、自由に好き勝手に絵を描いてしまったのです。
後日スタッフの方から今後の開催は難しいと言われてしまいました。
似顔絵セラピーの大切なポイントは、患者さんとの共同作業であり、ケアを目的とするものです。作家はどうしても自分の表現をしたいのですが、ケアをするために、その表現や技術を使わなければいけません。医療福祉施設は自由に描く、作家の個展会場ではないのです。
―決して悪意ではないけれども、笑いと怒りのギリギリの境界線にチャレンジしたくなる時って 絵描きならありますよね。
でも病院で好き勝手に描くのは、やってはいけないんですよ。失敗はこれだけではないんです。
―もっとですか?十分肝が冷えました。
はい、絵描きとして再起不能寸前まで落ちました。
実は日本大会を大阪で行った時のことです。僕は運営の一員でした。僕なりに色々なアイデアを持って、良かれと思って協力をしていたのですが、正直、自分のマネジメント能力の無さに自信を喪失してしまったのです。
当時の僕は、たくさんの病院の院長先生に会っては、似顔絵セラピーについて熱く語り、少し強気な発言もしつつ、仕事を頂いていました。
その自信が無くなってしまったのです。似顔絵セラピーの仕事は半年先まで来ていましたが、病院に行った瞬間に恐怖を感じてしまいました。魔法がすっかり消えていたのです。人を元気する自信がなくなっていました。
緩和ケアの無菌室は二重扉で、医療スタッフもあまり入れません。「1週間待ってました」とご家族に迎えられる。ところが患者様やご家族を前に、何も言えない。
おびえている。その姿はすぐにご家族には見抜かれます。
期待値が高いだけにジェットコースターのように怒りに変わります。ベッドから起き上がった患者様に「素直になりな!」と言われました。
この言葉は刺さりました。
僕はその後のすべてのセラピー、講演、取材を断りました。
―村岡さんが真剣に、純粋に、何にでも取り組む人だからこそ、でしょうね。
実は僕にも似た経験があります。石巻の赤十字病院で描いていた時のことです。
あるおじいちゃんを描いていたのですが、そのおじいちゃんはお孫さんを亡くされたそうです。「その瞬間」を僕に聞かせてくれるのですが、その目が小刻みにずっと震えているのです。
その目を見ていたら急に描くことに躊躇してしまいました。
また、海岸沿いを車で走らせていると、津波がこっちに向かって襲ってくるような恐怖心を感じるようになってしまった時期がありました。
怖くて数か月行けなくなりました。
知りすぎるゆえの怖さというか、本当に軽い気持ちでは出来ないんだ、やってはいけないんだ、と身をもって学びました。
僕は、再開するのに3,4年かかりました。
―3, 4年も!? その間は何をしていたのですか?
生活をしていかないといけないので、イラストの仕事をしていました。写真からの似顔絵を描いたり、出版社に電話をして売り込みをして、ゼロからイラストの仕事を少しずつ増やしていきました。
今でも怖さは残っていますが、あの経験がなければここまで真剣に取り組めなかったと思います。
―最後の質問になります。
村岡さんにとって今後の夢はありますか?
「僕が似顔絵セラピーを広めたい」という、かつての欲ではなく、「勝手に広まっていけばいいな」という新たな希望があります。また、この考えを受け入れてくれる病院を増やしたいです。
作家が病院にいて患者を癒す、という環境を作りたいです。
あとは自分の絵を追求して、描き続けていきたいです。
―村岡さん、本日は貴重なお話しをありがとうございました。
似顔絵の新しい可能性へのチャレンジ、とても勉強になりました。
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【プロフィール】
似顔絵セラピー・イラストレーター
村岡 ケンイチ
1 9 8 2 年生まれ、広島県出身。東京都在住。2 0 0 4 年名古屋芸術大学卒業後、上京する。
2 0 0 6 年に県立広島病院にて、「似顔絵セラピー」を発表。2 0 1 2 年似顔絵セラピーの効果が、
医学論文として日本農村医学会雑誌に掲載。現在は、東京都・広島県・山口県岩国市を拠点に
活動している。
【略歴】
1982年 広島に生まれる
2004年 名古屋芸術大学 デザイン学部 イラストレーション科 卒業
星の子プロダクション所属
2006年 県立広島病院にて似顔絵セラピーを発表
2007年 フリーランスとして活動を始める
2012年 日本農村医学会で似顔絵セラピーの効果が、医学論文として認定
【受賞歴】
2007年 NCN「ミニコンベンション in Tokyo2007」 白黒部門 1位
2009年 NCN「ミニコンベンション in Tokyo2009」 白黒部門 1位
2009年 ISCA「アメリカ ・サンダスキー大会」 白黒部門 1位 デザイン部門 3位
2010年 ISCA「韓国大会」 白黒部門 1位
【実績】
●大阪大学医学部附属病院
小児医療センターホスピタルアート「星の船」30M壁画制作(笹川香織さんと共同制作)
● カゴメ株式会社
絵本「好き嫌い魔王をやっつけろ!」イラスト制作
● カゴメ株式会社
「トマトの祭典トマフェス ’14」のメインビジュアルを制作
● 週刊ダイヤモンド
「新しいEU図解用」 特集ページイラスト制作
【メディア出演】
2018年
・日本テレビ「スッキリ」番組内(TOUCH)で特集で似顔絵セラピーの放送
2017年
・日本テレビ「ニュースエブリィ」特集で似顔絵セラピーの放送
・日本テレビ「NNNドキュメント」「似顔絵セラピー 絵の中の自分に癒やされて」