Member Interview vol.8
『がんじーさん』
(聞き手・Kage)
全国各地で活躍する、
日本似顔絵アーティスト協会の皆様の、
多種多様な考えや働き方をご紹介する、
Member Interview。
今回は仙台を拠点に活動されているがんじーさんに、ご登場頂きました!
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―がんじーさん、本日は宜しくお願いします。
がんじーさんはご自身で会社を経営されており、お店も構えていらっしゃいます。これはすごいことだと思うのですが、会社はいつ創られたのですか?
平成24年です。個人活動は、平成20年からやっています。
Kageさんが地元地域に根差した、似顔絵のお店を開けたというのを聞いて、影響を受けました。そのコンセプトを聞いて、僕も地元仙台に愛されるお店を作りたいと思って、宮町にお店を創りました。
最初は雑居ビルの4Fにある、6畳の部屋から始まりました。次にビルの2Fにある店舗へ移って、ようやく今の路面店に辿り着きました。今はもう、死ぬまでここでがんじースタジオをやっていたいです。
―宮町にこだわる理由は?
自分を受け入れてくれた町なんです。
似顔絵でお店を借りるのは大変です。信用がない中で色々な人が信頼し、場所を与えてくれました。この町には本当に感謝しています。
商店街の振興組合にも加盟して、地元のお祭りや行事のお手伝いもしています。今は町会の役員も務めています。
―それはわかるなぁ。
僕にとっても浅草という町は、僕たちの夢を叶えてくれた場所です。
浅草って、さまざまな芸術や文化、芸能が発祥した町なんです。だからこそ僕たちの拠点にはピッタリだと思いました。今では本社、本店、教育の拠点は、浅草です。拠点があるから、全国に事業を広めることが出来ました。
ちなみに私も青年部として、三社祭や地域イベントで汗をかいてます。
浅草といえば以前、NCN日本大会に参加した時、行きました。あの時の皆さんの作品は、本当に凄かったですね。
―日本で最初の大会でした。
懐かしいなぁ。2007年でしたね。
日本で世界レベルに触れられて、本当に視野が広がりました。
そこにいられるだけで感動がありました。似顔絵描きが一同に介して、知り合える機会も、貴重だと思いました。
―がんじーさんはいつ頃から、似顔絵を始めたのですか?
僕が似顔絵を始めたきっかけは、高校生の時にNHKで見た「趣味悠々」です。
もともと藤子・F・不二雄先生が好きで、絵を描いてはいたのですが、人物がとても難しかったのです。でも似顔絵を知ってから人を描く楽しさを知りました。
―仕事として始めたのはいつですか?
高校卒業の時、生徒を全員描いて、そこに言葉を添えて、先生にプレゼントしたら、すごく喜ばれました。これが嬉しくて、大学進学後にはフリマで似顔絵を描き始めました。
―1人で始めたのですか?
1人です。「描いて喜んでもらう」という事が、とにかく嬉しくて、楽しくて。毎週末、東北各地にテーブルとイスを持って描いていました。あまり描けない日もあるけど、ただ楽しくて。
あと週刊朝日の「似顔絵塾」にも投稿していました。塾生との交流も生まれて、奥深さにも触れて、ますますのめり込んでいきました。
―影響を受けたアーティストはいますか。
「似顔絵一家」のJEROさん、田畑伴和さん、湯沢淳二さんです。
最初に東京の似顔絵師のしんのすけさんに会いたくて、僕から出向いて押しかけました。するとしんのすけさんが、東京には面白い絵描きさんがたくさんいるよと、案内してくれたんです。連れていってもらったのは、お台場。
最初に描いてもらったのが、JEROさん。存在はテレビで見て知っていたのですが、テレビで見た、あのこだわりの作風が、現場で生で描いてくれて、もう衝撃でした。1日ずっと見ていました。
その後、田畑さん、湯沢さん、アクアシティでmikiさん、宮地さん、ビーナスフォートでカリカチュアジャパンの方にも描いてもらいました。
その時の絵がこれらです。
―うわぁ、傑作揃いですねェ。。
そうなんです。
実家にはもっとたくさんあります。
―そうですか。すごい行動力だなぁ。
今のご自身の作風に、この方々の影響はありますか?
はい。あります。
その後、星の子プロダクションで現場研修を受けたり、様々な機会も頂いてきたのですが、僕にとってはもう一人、とても影響を受けた方がいるんです。
宮本栄一さんです。浅草のNCN日本大会で、宮本栄一さんに描いてもらいました。ものすごく似てるんですよ。写実的なわけじゃないのに、とてもシンプルな線なのに、線の切れ味が鋭くて、恐ろしいくらい自分が表現されていました。
それまで自分自身が目指すものがハッキリと見えていなかったのですが、宮本さんの絵を見て、色々気付かされました。
そこで僕は、東京にいると刺激が強すぎて、影響を受け過ぎてしまうので、地元仙台で自分と向き合いながら、少しマイペースでもいいから、自分らしい似顔絵の仕事を見つけていこうと思いました。
―色々なものを見過ぎて刺激を受け過ぎちゃうというのは、私も経験があります。
刺激は絶対に大事ですけど、自分と向き合うことはもっと大事なんでしょうね。。
それでご自身の作風というのは、どういう絵になりましたか?
第一に考えているのは、モデルさんの持ち味を余すところなく表現した中に、自分の個性を入れられたらいいかなと考えています。
色々な絵を見て、様々な技術を知って、それを絵に盛り込んでいけたら、自分のこれまでの経験を自分の個性として描ける。人によって誇張の度合いも変えます。
―聞き辛い質問なのですが、宮町は東日本大震災の影響はありませんでしたか?
東北全体が普通ではない状態になっていました。時間が止まったような状況でした。この経験は私の似顔絵師としての、活動にとってとても大きかったです。
似顔絵を求めてくるお客様がいなくなりました。
皆、生きることに必死で、その日食べることや人と過ごすことが大事だったのだと思います。改めて自分の仕事を見つめ直しました。人は必要なものを求めます。衣食住とは関係ない娯楽の似顔絵は、世の中が平和で落ち着いているから、必要とされてやっていける。今こうして似顔絵を仕事にできることは、平和で皆が満たされていることが大事なんだと実感しています。
―僕も震災直後、毎月、関東から東北を訪れました。
僕たちには何もできません。できることがあるとすれば、絵を描くことだけです。避難所や仮設住宅をまわって、手元に残ったお写真から、ご家族みんなの絵を描いて、差し上げました。
東北の方々は皆親切でした。描いた絵を見て、「未来へのお守りになる」と言って喜んで頂けたことが、今の私にとって、この仕事に対する自信と誇りになりました。
震災の体験から、人を描く使命を感じました。
ライフラインが止まり、自分が身動きが取れない時に、絵描きさんが色々な所に来てくれたという話を聞いてとても感謝しました。当時の私はとても絵を描く気持ちになれなくなっていました。
―今、ご自身のお店を持ってみて、どんなお気持ちでしょうか?
観光地のお店と地域のお店とでは、全然違うんですよ。
1人のお客様を大切にする。1人の期待にいかに応えるか。それが日々の課題です。
似顔絵は出会いじゃないですか。次の出会いがいつも楽しみで、これからもその出会いを楽しんで生きていきたいです。
―最後に、協会に期待することがありましたら、是非教えて下さい。
全国各地で、似顔絵を学べる機会がどんどん増えて、似顔絵師の交流が深まれば良いと思います。東北でも東北似顔絵サミットというものをやっています。東北でもどんどん広まりを見せてきています。
―勉強会も東北で、この仙台で開催出来たらいいですね。
ガンジーさん、今日はありがとうございました。
Kageさん、お忙しい中、ここまで来て頂いて、ありがとうございました。
【プロフィール】
がんじー
1985年 東京都三宅島生まれ、宮城県仙台市育ち、在住。
「似顔絵一家」(湯澤淳二氏・田畑伴和氏・JERO氏)に師事、デフォルメ似顔絵を学ぶ。
2012年 地元・宮城県仙台市に、がんじースタジオ(株)設立。
似顔絵制作、似顔絵イベント、似顔絵教室、似顔絵に関することはなんでも。
2014~16年 ISCAアメリカ大会に毎年参加。
<webサイト> http://nigaoeya.client.jp/