NPO法人 日本似顔絵アーティスト協会

Member Interview vol.17


Member Interview vol.17
『あいけろさん』
(聞き手・Kage)

全国各地で活躍する
日本全国の似顔絵アーティスト協会の皆様の
多種多様な考えや働き方をご紹介する、
Member Interview。

今回は富山を拠点に活動し、
全国の大会や勉強会に精力的に参加している
あいけろさんにご登場頂きました。

―(Kage)あいけろさん、本日はよろしくお願いします。
実はあいけろさんのインタビューは一度流れているんですよね。

(あいけろさん)
正直、私みたいな何も実績のない新人がインタビューを受けても良いのかと思って。
引き受けるまでに少し時間と勇気が要りました。でも、最近は間も空いていたので、もうないのかなと、諦めてもいました。

―いえいえ、インタビューをさせてもらえて、とても嬉しいです。
ありがとうございます。

なんで私だったんですか?

―あいけろさんは、キャリアは短いけれども、勉強会には全国どこにでも参加してくるし、海外の大会にも積極的に出場している。
平日に他の仕事をしながら、週末は似顔絵を描ける場所を探して。
「この絵で食べて行こう」という、強い意志を持っている人だと思いました。
その声を聞いてみたかったのです。

とても嬉しいです。
時間が空いてしまって、本当すみません(笑)

―いえ、ありがとうございます。
では早速!似顔絵を始めたきっかけから教えて下さい。

高校生の時にクラスの子の誕生日に似顔絵をプレゼントしたら、とても喜んでくれたんです。
それががとても嬉しくて、自分にしかできないことで人を喜ばせたいと思うようになりました。小学生の頃から周りの人たちに、自分の絵は独特で誰が見ても私の絵だと分かると言われていました。特別うまいとか
じゃなくて、クラスでも1番2番じゃないけど、「独特」と、よく言われていました。

 

―たとえば?

はい。思い出すのは、小学校の時のことです。
自分の顔を描く授業があったのですが、私はなぜだか肌色じゃない、色んな色を使って顔を塗っていました。周囲は皆、肌色だったので、ふと気づいて私は恥ずかしくなって、上から肌色を塗り直そうとしたら、それを見た先生に止められて言われたんです。

「顔は肌色だけじゃない。色々な色があるんだ。だからこの絵は見た目は変わっているけど、これは合っているんだ。」って言って頂けました。

 

―良い先生ですねェ。

本当にそう思います。

 

―じゃあ、子供の時からずっと絵が好きだったんですね。

はい。自分らしさを表現するのが絵でした。
でも、実は祖父母が書道家で、絵は好きでしたが書道を習っていました。

 

―そうなんだ!

はい。10級から始まって8段まで取りきって、師範クラスまでやりきりました。今も毎週おばあちゃんの家へ通って稽古をしています。

 

―すごい!それは知りませんでした。
展覧会とかも出していますか?

はい。宇野雪村展や、第68、69回の毎日書道展で入選し、上野美術館に飾られたこともあります。

 

―すごいなぁ!そんな特技があったんですね!
書家は目指さなかったのですか?

考えたこともなかったです。
書は、幼い頃からおばあちゃんが書いたものをまねっこして書いてきました。自分の感性で書くというより、おばあちゃんが引いてくれるレールの上をただ何も考えず歩いていたような気がします。

おばあちゃんの言う通りに書くと賞を取ることができます。しかし自分の感性で書くとダメでした。だから絵ほどはワクワクしなかったんです。

 

―ところで、一度聞きたかったんです。
なぜ「あいけろ」の由来は何ですか?

 

よく聞かれます(笑)
昔、とても仲の良かった友達が「あいけろ」と名付けて
くれました。その子が実は病気になってしまって、疎遠になってしまったんです。もう会えなくなっちゃって。
もう一度いつかその子と会いたくて、この名前を使っていたら、いつか会えるかなと思って。

 

―そうだったんですね。
この記事も読んでもらえるといいですね!

はい。そう思います。

 

―さて、そんなあいけろさんは実際に、どうやってプロとしてお仕事を始めたのでしょうか?

大学卒業後、アパレルの仕事に就いて、趣味で似顔絵を描いていたのですが、仕事が忙しすぎて、とてもとても似顔絵を描くことはできなくなってしまいました。

当時を振り返ると本当に多忙で、血尿が出て病院に行ったほどでした。そこでお医者さんに仕事を止められて。精神的にも肉体的にも疲れてしまって、辞めた翌日に私は一人で沖縄へ行ったんです。

 

―1人で沖縄に!?

はい、そうなんです。トボトボと錆びれた商店街を歩いていると、見ず知らずのご家族に話しかけられて、一緒に泡盛を飲むことになりました(笑)

 

―見ず知らず!?(笑)

そうなんです。話しをしてるうちに「お前、おもしろいから今日からうちに住め!」と言われて、なぜだか一緒に暮らし始めることになったんです。そのご家族がとても親切にしてくれて、沖縄の綺麗な海や景色を見せてくれたり、一緒にBBQをしたり三線でBEGINを歌ってくれたり心がどんどん穏やかになっていって、気づいたら元気な自分に戻っていました。

 

―どれくらい一緒に暮らしていたんですか?

約1ヶ月間お世話になりました。
さすがに家族や友達が心配して地元から親友が迎えにきてくれました。帰るとなった時、お世話になった家族に何か恩返しをしたくて、似顔絵をプレゼントしたんです。その時に泣いて喜んでくれて。
「これでやっていきなさい」と背中を押して貰いました。私もそうしたいと思いました。富山に帰ってからは、毎日たくさん練習をしました。そして、色々ネットで調べていたら、
大好きな作家さんを見つけたんです。

 

―それが、いけだえりさん?

そうです!
私、えりさんの絵のタッチも色の付け方も大好きなんです。肌の塗り方、髪の毛の塗り方、すべてにとても心を打たれました。大会の白黒作品もすごいですが、現場で描く絵のカラーが、本当に素晴らしいんです。
もう、真似しまくりました。

 

―どうやって知り合えたのですか?

「アートスタジオRAKUGAKI」に在籍していることが分かって、金沢の示野にあるイオンに描いてもらいに行きました。その時に自分の絵も持っていって。
代表のチャンネル2.3.さんに連絡したら、声をかけてもらえて、修業期間を経て、入れるようになりました。

 

―じゃあ、一番影響を受けた人だ。

はい。えりさんです!
現場も一番最初に一緒に入れたんです。
ただお客さんが皆えりさんの方へ行くので、最初はかなり落ち込みました。

 

―皆、スタートはそうですよね。
僕も思い出したくない記憶があります。
現在は、どのように仕事をされていますか?

週末に「アートスタジオRAKUGAKI」の現場と、平日は南砺市クリエイタープラザにある「桜クリエ」というお店で、色々なグッズの販売をしながら似顔絵を描いています。
私の地元の南砺市は、若手クリエイターたちをとても支援してくれます。活動をメディアで取り上げてくれたり、イベントやイラストの仕事を優先的に振ってくれたり、資金面のサポートまでしてくれることがあります。

 

 

―あと、マタニティ・ペイントもやっていますよね?

はい。友達に頼まれたのが最初で、もう3年くらいやっています。
マタニティの期間はこの瞬間しかないから、1日しかもたないけれども、
一生の記念に残してもらえるように、気持ちを込めて描いています。一発描きで素肌に描く緊張感もすごいですけど。

 

―似顔絵以外の仕事も色々とやっているのですね。

他にも、地元のアニメーション会社とコラボしてグッズを作ったり、CDジャケットをデザインしたり、グループ展を開催したり、色々やらせて頂いています。

 

―本当に多才ですね。
あと、あいけろちゃんは、何を描くにしても、絵で人を幸せにすることが目的なんだなぁとつくづく感じます。本当に楽しそうに話してくれますよね。

とんでもないです。ありがとうございます!
でも、似顔絵の比率が一番高いので、もっと似顔絵をうまく描けるようになりたいです。だから協会の勉強会などにも遠くてもできるだけ参加していきたいです。

 

―国際大会はずいぶん出られましたよね?

はい。2年前の京都がはじめてで、その後に、アメリカ、韓国、日本大会と、4回出させて頂きました。
勉強会もたくさん出させて頂きました。

 

―大会はどうですか?

もう、ぶっちゃけると、1回目は凹み過ぎて大泣きでした(笑)
会場にいられなくてホテルに戻っておばあちゃんからもらった腹巻まいて泣いてました。周囲はうまい人だらけで。私は似顔絵初めて1年も経っていなくて。何を描いていいかも分からなくて。立ち直れなかったです。

はじめて参加した日本大会

 

―壁は完成させられましたか?

はい。でも、ひどかったです。
全然、似てなかったし。
とにかく必死でした。

 

―それでもまた出場し続けるのはなぜですか?

一番刺激をもらえる場所が「そこ」だったと知ったからです。傷つくけれども、行ったら得られるものがあると確信しています。富山にずっといたら、そんな刺激はないので。行かないで後悔するよりも、行って傷つく方が成長できる、と思っています。

 

―すごい情熱だなぁ。尊敬しますね。
あいけろさんが考える、大会の一番良い所って何なんでしょうか?

全国の似顔絵師と繋がれること、です。
皆さんと仲良くなれたからどこへ行っても会えるし、色々な画材を知れたし、描き方も学ぶことが出来ました。新しい発見というか、視野が圧倒的に広がりました。

 

―素晴らしいなぁ。その勇気が何よりも大切なんですよね。
僕も今でこそ大会を運営していますが、2003年に初めてISCAの大会に出場した時、周囲の上手さに圧倒されて、ホテルのプールサイドに逃げていました。自分の下手さが恥ずかしくて、なかなか会場に入れませんでした。でも、せっかく来たのだから、と会場に戻って、それはそれは
不出来な壁を作りました。
あの経験がなければ今はありませんでした。

あれがプロの壁ですよね。本当怖いですよね。
決して皆が怖いわけじゃないんだけど、自分の中に怖さがあるというか。メッチャ分かります。

 

―今はもうないでしょう?

今は楽しいです!
2月の日本大会では恐怖心はありませんでした。
でも気持ちが楽になったのも1月の韓国大会からなんです。

昨年11月のアメリカ大会は辛かったです。また泣きながら親に電話してました(笑)。上手く描こうというプレッシャーを、自分にかけ過ぎてしまっていました。あと、人と関わることよりも、自分の世界にこもってしまっていましたし、何枚描くぞ、とか上手く描かなきゃという気持ちで頭がいっぱいで、人の意見ばかりを気にしていました。その場を楽しむことはできませんでした。

 

―韓国大会からは何を変えたのですか?

色んな人とコミュニケーションをとることに重心を置いて、楽しむことを目的としました。お陰でたくさん描いてもらえたし、海外の友達もできたし、大会ってこんなに楽しいんだ、と気づきました。

 

―満足感はこれまでよりありました?

それが。。。正直に言うと、やりきった感はアメリカ大会の時の方がありました。作品数も少なかったし、自分の中でウォールの仕上がりはとても満足できませんでした。
だから、コミュニケーションと作画と、両方をできるようになることが、今の目標です。

 

―大会に来ると、それが出来ているスゴイ人たちがいますよね。
目の当りにすると目標になりますよね。

Kageさんから見て今回そう思えた人っていますか?

 

―個人的な見解ですが、「ろーにーさん」ですね。
よく人を見ているなぁと思うし、いつ見ても一番笑ってしまいます。
最終日の壁が楽しみで仕方ない一人ですね。

あぁ、メッチャ分かります。私もろーにーさんの作品大好きです。

 

―今年の日本大会はいかがでしたか?

「似顔絵EXPO」がとても良かったです。
それぞれのアーティストの方々が、自分の世界観を思うように表現しているものを見られる機会は貴重でしたし、楽しかったです。同じ人物でも、違う人が描くと違う絵になる。とても勉強になりました。

 

―最後になります。あいけろさんの今後の夢を教えて下さい。

技術面でいうと、書道と絵を混合させたい。せっかく書が出来るのに今は活かせていません。それも似顔絵に書を活かしたいんです。
師匠である、おばあちゃんも喜んでくれるだろうし。

 

―着手はしているんですか?

はい。ちょっとずつやっていますが、絵が入るとなかなか文字を崩し切れていなくて。

 

―それは夢がありますね。僕も見てみたいです。
楽しみにしています。今日はありがとうございました!

ありがとうございました!

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【プロフィール】

Aikero(あいけろ)
本名 石井和

富山県南砺市在住
富山県高岡工芸高校卒業
金城大学短期学部美術学科卒業
2015年アートスタジオ RAKUGAKI所属
同年4月似顔絵師デビュー

2019年南砺市クリエイタープラザ
桜クリエ似顔絵ショップ オープン